勉強の設計。
以前、「やればできる」みたいな本と
「やり抜けばできる」みたいな本を読んだのだが、
その2冊によると、結局人間の能力には大差なくて、
やろうとしたか、やり続けたか
的なことが重要らしい。
つまるところ、何かしらの能力を身につけたければ、
「自分の可能性を信じて、勉強という行動をやり続けられるか?」
が大事ということは、きっとあの2冊をしっかり読んだ猛者ならご存知なのではないだろうか。
もちろん分かってはいるが、「続ける」ってのが、もう、マジで難しくて
今まで挫折したものと言えば.....と考え出したらキリがない。
しかしここ最近、勉強を長時間、長期間やってても以前みたく飽きたり、挫折したりがなくなってきて、それはなぜだろう?と疑問が湧き、自分なりに考えてみた。
やっているのはAIのプログラミングについての勉強なのだが、コイツの特徴と言えば、手を動かしながらできる勉強、ということである。
理論も数式を紙に計算しながらだし、実装もプログラミングのコードを実際に書いていく。
そして計算なら計算結果が得られるし、実行すれば実行結果が目に見えて得られる。
つまり、コーディングという明確なアウトプットが前提としてあり、「結果」という報酬(AIってすげぇ、的な喜び)が得られる設計になっているのである。
そしてこの一連のサイクルが、「報酬を期待できる有効な時間内」に収まるというのが1番の要因なんじゃないか?と思っている。
「報酬を期待できる有効な時間」というのは今適当に思いついた言葉なのだが、
この行動(勉強)をする意味、を身をもって体感できるまでに自分が待てる時間、とでも言えば伝わるだろうか。
#眠すぎて文章打つのめんどくなってきた
思い返せば、目の前の報酬(誘惑)というものに、これまで何度もやられてきた
(パチンコやら、、リボやら、、)
要は長期的な目線が持てない、のである。
人によっては資格の勉強が得意な人がいると思うが、その人は「報酬を期待できる有効な時間」が長い(=長期的な目線が持てる)ということである。羨ましいやつめ。
つまり、わりと誰でも取れる基本情報技術者試験でさえの勉強も死んだ俺は「報酬を期待できる有効な時間」内に収まるような勉強法を設計しなきゃならないようだ。
#報酬を期待できる有効な時間って打つのめんどくさすぎやろ
そこで、この考えを英語の勉強に生かせばいいんやねぇか!?と考えたのだが、
英語の成果って何だろうと頭を悩ませていた。
英語を使ってなんらかの報酬....
英語は言葉...
言葉はコミュニケーション....
コミュニケーションは人との出会い....
というわけで、海外の出会い系サイトに登録すれば毎日英語使うんやね?という結論に達したので、登録してみます。
これは勉強なので決して金髪美女とS◯Xしたいとか思ってませんのでやりたいご了承くださいやりたい。