AMATA LIFE

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苦労の備忘録2021年3月

 

 

今年に入り、新たな後輩育成を任され

もう何回怒られたのか分からない。

 

 

なぜ人は怒るのだろうか。

 

「期待してるからだよ」とか「成長させるためだよ」などと上司は言うが、

 

俺は納得できない。

 

 

納得できないというか、時代にそぐわない。令和やぞ。くそったれ。

 

たしかに昔は怒ることで育成できたかもしれないが、いわゆる今の若者には通用しない。

 

それは若者の忍耐が足りないとか、ゆとり教育を受けてるとかそんなThe 昭和のオッさんがビールを飲みながら言ってそうな理由ではない。

 

 

そろそろイライラが爆発しそうなので、このほとんど世間に情報発信されないブログでひっそりと持論を展開してやろうと思う。

 

 

 

そもそも人間を動かす動機というのは、「外発的な動機」と「内発的な動機」とで分かれている。

 

外発的な動機というのは、「お金が欲しい」とか「怒られたくない」という自分以外の要因からくる人間の行動である。

 

それに対して内発的な動機とは、「面白いからやる」とか「好きだからやる」といった、自分の中から湧き出てくる欲求が発端となり行動するものである。

 

 

「内発的な動機」と「外発的な動機」、どちらで動く方がより成長するのか?

 

どちらで動いたとしても、同じ時間で同じ集中力なら、正直変わらないだろう。結果というのは「かけた時間」と「どれだけ集中したか」でしかない。

 

 

こと「仕事」においては1日にかけられる時間はだいたい決まっている。8時間程度である。

 

 

「怒る」という外発的な要因によって、部下を8時間仕事に集中させることはできる。

 

ただ、その部下は「怒られたくない」という要因によって突き動かされるため、仕事をやると決まった時間以外、つまり勤務時間外になると「怒られることはない」ために動かなくなる。

 

 

もう分かるかもしれないが、これに比べ、内発的な動機で動いてる人は勤務時間外でも「好きだから」動いてしまうのである。

 

つまりまとめると、

外発的な動機で動いている人は、勤務時間しか努力をしないが、内発的な動機で動いている人は休日だろうと「努力してしまう」ために、どう考えても後者の方が伸びるに決まっているんですね。

 

 

、、というのは世の常識だと思うのだが、

問題はなぜ「特に今の若者は」怒って動かすのが有効的でないか、というところだ。

 

 

 

怒られた時、つまり自分の考えと異なる意見を言われた時、すぐさま納得できる人はいるだろうか。

 

 

まぁ、いるかもしれない。

圧倒的に結果を出しているリーダーで、部下が上司をかなり尊敬、信頼している場合に限りは、きっと怒ることは有効かもしれない。

 

 

ただ、一般企業でそんな奴いるんか?

というところで言うと、もう完全なる主観なので論理もへったくれもないが、

 

どう考えてもハゲたデブのオッさん上司しかいないこの日本の社会においては、色違いの伝説のポケモンくらいに少ないだろう。

 

 

そんな奴から怒られたとき、人は皆こう思うはずだ。

 

 

「コイツが間違ってるんじゃないか?」

 

 

人間は自分が正しいと思いたい生き物である。

認知的不協和というのだが、人間は自分の能力では届かない事実や矛盾する認知に達したとき、自分を正当化する方向に認知を曲げてしまう。

 

 

 

上司に怒られ、「こいつが間違ってるんじゃないか?」と考えながら帰路に着く。そんなとき、帰ってYouTubeとかいじってると、こんなタイトルが目に入ってきたりする。

 

 

『【クソ上司】こんな考えはもう古い!〜令和の新常識ベスト5〜』

 

 

 

いまや多くのインフルエンサーの情報発信のプラットフォームとして確立したインターネットは、今の若者にとって大きな影響を与えている。

 

 

上司にムカついたとき、上司に怒られたとき、

Google検索ができる人は、すぐさま検索してしまうのではないだろうか

 

 

「上司 やり方 古い」

 

 

 

インターネットの普及により、この世界には正解で溢れてしまっている。抽象的な例えになるが、Aという考えでも、Bという考えでも、Cという考えでも、

どんな考えでもGoogle検索は答えを提供してくれて、自分の認知に合った考え方を表示してくれる。

 

自分の考え方が間違ってないと確信したとき、

「あ〜やっぱ上司は間違ってるな〜、古いんだよアイツ」と思ってしまうのだ。

 

 

この世に正解なんてない。「正しい」考え方なんて無い。ただ結果が出たかどうかでしかない。

(もちろん結果が出やすい考え方はあるのだが)

 

 

 

これがインターネットの発達していない昭和だったらどうだろう。自分より圧倒的にできる人間は、会社の中にしかいなかったのでないだろうか。

 

 

だからこそ昔は「怒る」ことでも教育することができた。その上司以外に正解が無かった時代だったからである。

 

 

 

今の若者は上司の教えを受け入れることが出来ず、仕事に対するモチベーションは低下する。

 

入社して最初はやる気に満ち溢れていた新人も、

1〜2年も経てばビール片手に上司の愚痴を話すことになるのだ。

 

 

こうして部下は尊敬できない上司に「怒られないように」動くようになる。

意識が高い人ほどそうなるだろう。

上司の説教は「無駄な時間」と捉えてしまうからだ。

 

つまり仕事に対して内発的な動機を持つことが出来なくなってしまい、それだと成長は遅くなる。

 

 

 

 

では今の会社で部下を育てるにはどうすれば良いのか?

 

思いついたのは以下2つ。

 

①信頼関係を築き、尊敬される

先程も書いたが、自分の部下からかなり信頼されている状態でなら「怒る」という行為でも部下は納得してくれる。

この場合、客観的にすごい人物であることを部下が認知するために、数字で結果をだしている状態(めっちゃお金稼いでるとか)が必要で、なおかつ外見も磨いた方が良い。

筋トレをして理想的な肉体を手に入れ、ハゲているならAGA治療をするべきである。

 

 

 

②部下に責任のある仕事を任せる

「怒る」という行為は相手の欠点を教える行為であるが、欠点に気づかせるには「怒る」以外にも方法はある。

それは部下に全力を出せるフィールドを用意して、結果を出してもらうことだ。数字が伸び悩めば、自然と自分の欠点が見えて来る。自分には出来なくて、上司には出来ている事は何か?

部下はその原因を突き詰めたくなるため、上司からのアドバイスを聞くようになる。

 

 

 

 

結局のところ、どんなにクソ上司と思っていても、

相手は自分よりも仕事が出来ている事は事実で、

言うことを聞いていれば仕事はできるようになるはずである。

 

 

というか、結局は上司に上手く気に入られて裁量のある仕事を任せて貰えば成長するわけで、どんな上司だろうと関係ないんすよね。

 

 

 

とか考えながら、あぁ、俺転職していいんかな?とか考える週末を過ごした記録でした。

(転職する勇気が出ないことへの認知的不協和かもしれんが)

 

 

以上。